Category  |  神を待ち望む

恥から誉れへ

今年もまた、この時期が来ました。家族や親戚が集まる年末年始、独身者や子どものいない人は、「あなたを心配している」と、いつもの質問を繰り返す人にへきえきとさせられます。今でさえそうなのですから、長年の結婚生活で子どもに恵まれなかったエリサベツの苦悩はいかばかりでしょう。当時、不妊は神に嫌われた印で、恥だと思われていました(Ⅰサム1:5-6)。エリサベツは敬虔な人でしたが(ルカ1:6)、隣人や親戚は疑っていたかもしれません。しかし、エリサベツと夫は神に忠実に仕えつづけました。そして、老年になってから奇跡が起こりました。祈りが聞かれたのです(13節)。

赤ちゃんを願う木

クリスマスツリーを飾り付け「赤ちゃんを願う木」と名づけました。私たち夫婦は、4年以上も前から養子縁組を望んでいました。今年のクリスマスこそ、子どもを迎えたいのです。私は毎朝、ツリーの前で祈りました。ところが12月21日、それは不可能だと知らされました。私はツリーの前にたたずみました。これは神の備えの象徴です。疑念が心をかすめます。神は今も変わらず良いお方だろうか、私は何か間違いを犯したのだろうか、と…。

期待して待つ

英国のオックスフォードでは、大勢の人がメーデー(5月1日)の夜明け前に集まり、ともに春を迎えます。朝6時にマグダレン塔の上でマグダレンカレッジ合唱団が歌います。その歌声と鐘の音によって暗い夜が明けるのを、集まった大勢が今か今かと待つのです。

待つ所

多くの児童書の作家であるドクター・スースは「魚が餌にかかるのを待ち、凧を上げる風を待ち、金曜日の夜を待ち…みんないつも待っている」と語ります。人生は待つことだらけですが、神は決して急いでいません。昔の人は「時も遅れも神のもの」と語りました。そういう訳で、私たちは待っています。

神を知るための学び

小さい頃から母親になることにあこがれ、結婚して自分の子どもを抱く日を待ち焦がれていました。私たち夫婦は結婚するとすぐに赤ちゃんを授かると思っていましたが、妊娠検査はいつも陰性で、不妊と戦うことになりました。通院を何カ月もつづけ、検査を受け、涙を流しました。私たちは嵐の真っただ中に立っていました。不妊は受け入れ難く、神は本当に良いお方だろうかと疑いたくなりました。

遅れの対処法

コンピューターシステムの不具合で、広い範囲で航空機が止まり空港で足止めされる。吹雪の中、何台もの車が絡む事故で高速道路が閉鎖になる。「すぐに返事する」と約束した人から返事がない。「遅れ」は時に、怒りやイライラを生みます。しかし、クリスチャンは神に助けを求めることができます。

あなたではない

ダビデが立案し、設計し、材料を集めました(Ⅰ歴28:11-19)。にもかかわらず、エルサレムの第一神殿はソロモンの神殿と呼ばれます。神が「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない」(17:4)と言われたからです。神が選ばれたのは息子ソロモンでした。しかし、この否定に対するダビデの応答は立派でした。自分の気持ちではなく神のお気持ちを尊重し、感謝の心を失いませんでした(17:16-25)。そして自分のできることを全うしたのです。彼は神殿を建てる際に息子を助ける有能な人材を集めました(22章)。